人間とは何か?【書籍紹介】

本の紹介

今回は、19世紀に活躍したアメリカの文豪”マーク・トウェイン”の書籍「人間とは何か?」について紹介していきます。

本書は自己啓発の劇薬と称されるほどに過激な内容となっていますが、非常に考えさせられる内容でもあるのでぜひ最後まで見ていってくれたらなと思います。

マーク・トウェインと言えば、「トムソーヤの冒険」など数々の名著を書かれた文豪ですが、そんな彼が最後に書いた一冊がこの本であり、当時は物議をかもした内容となっていました。

人間とは何か?を題材に書かれたこの本ですが、最初に結論を述べておくとご覧のようになります。

人間とは機械である。これが結論です。

この主張が当時の世の中にはなかなか受け入れられるものではなく多くの非難を浴びたそうです。「人間には感情だってあるし道徳観だってあるだろう」と。しかし現代になって科学が進歩する中でこの主張というのが改めて認められつつあるというのです。

一体どういうことなのか。解説していきたいと思います。

本記事のお品書き
  • 人間とは機械である
  • 人間は自己満足でしか動かない
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人間とは機械である

さっそく、本書の結論に迫っていきますが、「人間とは機械である」というのは一体どういうことなのでしょうか。

人間は機械であり、個性を持たない、ただのエンジンである。

生まれ持った気質、住んでいる場所や社会、そういった外部の力に影響され管理され命令されているだけなのだ。

人間が生み出したものなどこの世には何もない。君自身の思考ですら君が生み出したものではないのだ。なんて馬鹿げた話だ。そんなことあるはずがない。確かにそう思うだろう。だが、その意見ですら、君の物ではないのだ。

君の意見を形作っているもの、それはこれまで君が読んできた本やだれかとの会話の内容、さらには何世紀もわたって受け継がれてきた君の祖先の思考や感情なのだ。自分の意見が作り出した素材のどんな小さな欠片ですら自分が生み出したものではない。すべては外の世界から得た借り物に過ぎないのだ。

引用:人間とは何か?

ここまでを端的に言うのならば、人間は自らは何も生みだすことができない単なる機械であるということになります。

本書はこのような主張を老人が述べ、それに対して若者が反論するといった構図で物語が進んでいきます。

そしてここまでの主張に対して若者がこういいます。「では世界最大の劇作家であるシェイクスピアはどうなんですか?」と。「彼の偉大な作品は機械にできることなのでしょうか?」と。

ところが老人はこう言うのです。

確かにシェイクスピアは正確に物事を観察し、それを見事に作品として描いてみせた。しかし、それは神が想像した人間をそのまま描いただけなのだ。つまり彼がやったことは「創造」ではなく「模造」である。

自分で作り出せる人間など、この世には存在しないし、それはシェイクスピアですらなしえなかった。つまり彼もまた一つの機械に過ぎなかったということだ。

ではなぜ彼は他の人とは異なる卓越した作品を残すことができたのか。それはシェイクスピアが君や私のような機械ではなかったからだ。彼は複雑で繊細な作業が可能なゴブラン織りの機械だったのである。

引用:人間とは何か?

つまり、創造できるのは神様だけであり、人間は結局のところ外の世界から得た情報や刺激を取り込んでそれを取捨選択したり組み合わせたりしながらアウトプットしているだけの機械であるということになるのです。

そして本書では、シェイクスピアは精密機械であっただけで、生まれた時代や国、受けた教育などたまたま外界の条件に恵まれてたから偉大な劇作家になったのであって、もし生まれた環境が劣悪で良い材料が与えられなければ何も生みださなかっただろうと結論付けていました。

しかし我々人間は、時には自分以外の誰かのために自らを犠牲にしたり、困難にも立ち向かったりすることがあると思います。こういった美しい行動は、心を持った人間だからこそできるのであった機械にはできないはずです。

しかし老人の解釈によれば、どんな善い行いも悪い行いもすべてはたった一つの衝動に従っているだけだというのです。つまり凶悪な犯罪だろうと世界平和のための活動だろうと行動の元となる心理は同じでありたった一つの衝動に支配されている機械に過ぎないという訳です。

なんとも受け入れがたい話ではありますが、私たち人間を突き動かしているものの正体とは一体何なのでしょうか。

人間は自己満足でしか動かない

私たち人間を突き動かしているもの、それは「自己満足」です。私たち人間は自己満足でしか動かない機械なのです。

自分の精神を満足させたいという衝動。その衝動によって人間は常に自分の心が安心するような行動をとったり自分の心が満足するような選択をしたりするという訳です。

例えば、目の前に何日も食事をとっていない貧しい女の子が現れ助けを求められたとします。このとき私たちは何らかの施しをして助けるかあるいか無視して助けないといった大きく二つの選択を迫られます。このときいくらかのお金を渡しその子を助けたとすれば、道徳的には良い行いであり心を持った人間らしい行動と言えます。

しかし老人は、こういった慈善行為も、自分の精神を満足させたいという衝動の結果であると解釈するのです。つまり、「助けないよりも助けた方が自分の気分がいいとか後悔して胸を痛めたくないとかそういった心理が働いているからあなたは女の子を助けたんじゃないですか?」と。つまり”あなたは自分のお金で自分の精神的満足を買っただけ”

人間は一定の衝動に従って動く機械なのです。

また、どんなにすばらしい人格者のどんな立派な行動であっても結局は自分の心が満足を得たいという衝動に従っているだけなので、愛とか勇気とかきれいな言葉の裏に隠れている物事の本質を見失ってはいけないという主張もされています。

人間は機械である。

確かにこの主張は多くの人にとっては受け入れがたくかなり反論の余地があるように思います。しかしじっくりここまでの話を聞いてみるとこの主張には筋が通っていていると感じると思います。

人間は一定の衝動に従って動く機械であるというのが結論であり、本書で伝えたい要点でした。まだ腑に落ちていない感もありつつもちょっとわかるような気もする。。といったところで今回はここまでになります。

ちょっと長くなりそうなので次回に続きます・・・

最後までお読みいただきありがとうございました。

つらつらと解説してきましたが、もう一点解説したい内容があってちょっと間延び感があるなと思ったので、今回はここまでとしたいと思います。

次回、またその内容に触れていきたいと思います。最後までお読みいただいた方はまた来週、お楽しみに。

今回は、自己啓発の毒薬と称される一冊「人間とは何か?」という本の要点を解説してみましたが、いかがでしたでしょうか。

個人的にこういった、人とは何か?生きるとは何か?死とはなにか?みたいな哲学チックな内容が好きで、とても考えさせられる内容だったので紹介してみました。

人間は機械である。という主張に対して、「そんなことないよ!感情だってあるじゃないか!」という反論が思わずわいてきてしまいますが、本書を読んでみてどうも筋が通っていて「なるほどな」と思ってしまいました。

たまたま私たち人間が発展を遂げ、さまざまな建造物や科学の力、テクノロジーなどが発展し、地球の中心に人間がいると思いこんでいますが、それが一体正しいのかななんて考えてしまいました。

私たちには動物の言語が分からないだけで、もしかしたら動物たち、例えば犬や猫、海の生き物、鳥、昆虫とかの世界から私たち人間を見て笑ってるのかもしれません。

「なんか一生懸命勉強して色々なものを作ってるな」「そんな事しなくたって十分幸せなのに」

みたいな感じで。

ここら辺は想像するのが楽しいだけ感はありますが、本当にまだまだ分からないことがたくさんあるからこそ面白いし、それが生きる意味の一つなのではないかなと思いました。

ではまた。

参考にさせていただいた動画:アバタロー

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